主催者の生い立ち~誕生、幼少期
西田 梓
1981年12月、7カ月(27週)の早産により、体重917g、身長測定不能の超未熟児として産まれました。
双子の弟は仮死状態で生まれ、11時間という短い命を終えました。
家族には2歳下と7歳下に二人の晴眼者(目が見える)妹がいます。
盲学校ではなく、地域の幼稚園で二年間を過ごしました。その中で目が見えないという障害について、子供ながらに感じ始めたことを憶えています。
担任の先生のおかげで、目が見える子と一緒に、外遊びやお泊り保育、雪遊びや様々な行事に挑戦出来た2年間となりました。
母はそのまま地域の学校に通わせたいという思いがあったようですが「見えない子は盲学校に行ってください」と教育委員会で言われ、こんな風に考えたようです。
「目が見える子と一緒にいることも大切だけど、点字や杖の使い方を憶えて、視覚障碍者として生きていくための方法を身に着けてから社会に出ても遅くない」
と思い直したと話してくれました。
盲学校時代
小学校から高等部普通科までは盲学校に通いました。
盲学校で過ごした12年間で「目が見えないことは恥ずかしいことじゃない」「見えなくてもなんでも挑戦しよう」という心のベースを作ってもらうことができました。
これは、点字や白杖の訓練以上に、私が生きていくうえで大切なことだと、盲学校を離れた後感じ、感謝しています。
「やりたいことはやってみればいいよ。困ったら助けるから」直接言葉にしなくても、そんな風に見守り・支えてくれていた先生たちにたくさん出会え、今も繋がっていることは大きな財産になっています。
音楽・スポーツ・演劇などたくさんの経験をすることが出来たかけがえのない12年間となりました。
大学時代
盲学校を卒業後、中学校の英語の先生になりたいという夢を持ち、4年制女子大へ進学しました。
盲学校と言う目が見えない人ばかりが当たり前の世界から、大学という目が見える人が当たり前の世界へ入りました。
その中でカルチャーショックを受けることも多くありましたが、
たくさんの友達に支えてもらって4年間の学生生活を過ごすことが出来ました。
当時手引きをしてくれたり、黒板やプリントを読んでくれた友達たちには本当に感謝しています。
大学時代は、友達と二人で名古屋・北海道・沖縄・北陸、そして青春18きっぷで関西から九州への旅行をしました。
地域の学校に通っている全盲の小学生の女の子に点字を教える家庭教師を4年間やっていたことも、今となっては大きな財産となっています。
人生観が変わったイギリス留学
大学三年の夏休みに、単身1カ月イギリスの語学学校へ留学しました。
理由はいくつかあります。
まず一つは、英語の先生になるのに、海外に行ったことがないのは嫌だなと思ったからです。
もう一つは、働くようになったら、長期間一人で海外に行くための時間は作れないと分かっていたからです。
現地で出会ったたくさんの人たちから大きな影響をうけました。
高校を卒業して、将来は料理人になりたいからと語学を学びに来ていた同世代の男性。
小学校の校長を定年退職し、語学を学ぶために来ていた女性。
リビアの学校で英語を教える教員として、選ばれて数年間勉強に来ていた女性…。
みんな自分の人生をしっかり生きている人たちばかりでした。
そんなたくさんの人たちと毎日話している中で、これまでなんの疑いもなかった「中学校の英語の先生になる」という夢は、本当に私がやりたかったことなのか疑問を持ち始めました。
「もっとやれることはあるんじゃないか」、そんな思いを抱えて帰国しました。
将来への迷い~大学卒業
迷ってはいましたが、大学で単位を取得し、教員への道を目指していました。
母校での教育実習が通例とされている中、知ってる先生が多い盲学校で実習をしたら絶対甘えてしまうと思い、お世話になっていた先生がいる地域の中学校で三週間の教育実習を終えることができました。
2004年3月、大学を卒業しました。
そのとき、私の就職先は決まっていませんでした。
何をしたらいいのか、何がやれるのか、何も分からないまま卒業式の日を焦りと不安で迎えることとなりました。
自分と向き合う就職活動
自分は何が好きなのか、何をやりたいのか、自問自答を繰り返す日々でした。
大学時代から続けている、全盲の小学生の女の子への家庭教師で外出する以外は、家にこもってずっとパソコンで就職活動をしていました。
自分の思いを突き詰め・考えて、いろんなご縁が重なりとある場所に就職が決まったのは2004年9月のことでした。
就職~転職
これまで育った神戸を離れ、名古屋で一人暮らしと仕事をスタートさせました。
点字図書館で、点訳図書の制作、中途失明者への点字指導、地域の学校で学ぶ視覚障害児への点字指導、視覚障害者へのメイク・カラーコーディネート講座など多岐にわたってお仕事させていただきました。
そこで3年務め退職。
2008年1月、大阪に支店のある一般企業へと転職しました。
その会社で働いていた中途失明男性と知り合い、結婚しました。
結婚~子育て
2008年12月、結婚して東京都日野市にやってきました。
2009年9月に妊娠が分かるも、3カ月の初期流産で出産には至りませんでした。
その後2010年4月に再び妊娠。
12月30日に31時間の陣痛の末、3176gの元気な女の子を出産しました。
2018年現在
小学校二年生になった娘、夫と三人で暮らしながら、視覚障害を知ってもらうためのワークショップや講演会のご依頼を受けています。
周りの人たちに支えてもらいながら暮らしている日常をブログでも発信しています。
2016年11月より、社会福祉法人日本盲人職能開発センターの非常勤講師として働いています。
視覚に障害のある人たちに、画面読み上げソフトを使い、パソコンの基本からワード・エクセル、インターネットやメールまでを7カ月で教える基礎コースのメイン講師として勤務しています。
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